第228号  23年8月号  大川 澄雄

懐かしい盆踊りの思い出・・・・。
 年月の流れは本当に早いものでございまして、八郎潟干拓に入植致しまして40数年が経ってしまいました。このお盆近くになりますと、かの日々の事が懐かしく思い出されるのでございます。それはふるさとを遠く離れた、そして祖先の御霊を置いてきた望郷の念に苛まれながら、その供養を兼ねた「盆踊り」の
時期を迎えたからでありました。 入植後間もない頃でございますから皆まだ若く、盆踊りとなりますと周辺の人達を含め挙って参加、仮装をして踊ると言う溢れるばかりの踊り手で大変賑わったものでございました。
 
昭和45年と申しますと、入植のための入植訓練所に入っていた頃、25歳の時でありまして、その頃は盆踊りの熱がピークに達した時ではなかったろうかと思っております。この盆踊りを大潟村独自の唄でやろうと言う事になったようでございまして、村で「大潟音頭」と「大潟小唄」の作詩の募集があった訳でございます。
 何気なく応募した私でしたが、何を間違ったのか「大潟小唄」に入選してしまったのでありました。

♪♪ ああ 一度はお出でよ大潟村へ  田んぼな~田んぼ機械のうなり声
       頑張りましょうよ ねえあなた  そうだそうだよ ねえおまえ
               村建設の声かけ合えば  村は踊りの花ざかり ♪♪

 本当につまらない作詞でございましたが、歌う人が見事カバー、秋田いや日本の民謡大歌手「小野花子さん」だったのです。「大潟音頭」と共に、オリジナル曲でありましたから
それからまた一段と賑わったのは言うまでもございませんでした。あの頃は皆、フロンティアスピリットに燃えていた時代でもございました。
それから時代も国の政策である減反へと向かいまして、作付けに対する様々な思いと葛藤があり、作付け派と順守派とを二分する対立の村に変わって行きまして、あの若者で溢れた盆踊りも影を潜めて行ったのであります。
 
あれから40年、今も青年会の主催でやっておりますが、見に行く事もなくなりました。 
でも、今年は未曾有とも言えます東日本大震災が起きまして、想像を絶する多くの犠牲者を出してしまいました。何をしたら良いかと迷っておりましたが、「そうだ、盆踊りに行って御霊を慰めよう」と決心致しました。やはり盆踊りは鎮魂祭でございます。華やかな中にも、不思議と寂しさを伴うものです。まだ「大潟小唄」で踊っているかは分かりませんが、亡くなられた多くの御霊に心からの供養の踊りを致したいと思っております。全く下手で踊りにもならないとは思っておりますが・・・・ 

今月の一句
せめてもの 鎮魂とせむ 盆踊り