第223号  23年3月号  大川 澄雄

 仲間が、大潟村を去って行った、懐かしく寂しい思い出・・・・。先日、ある懐かしい歌がテレビで放映されておりました。お歳(大変失礼)を召された方は、ほとんどの人がご存知だと思うのですが。青木光一が歌う「柿の木坂の家」、なんとも郷愁を誘う物静かな歌でございまして、その歌を聴いておりますうちに、遥か彼の仲間とのせつない別れが甦ってきたのでありました。
 
 あれは昭和59年だったと思います。私共、とても親しく兄弟付き合いを交わした猟の仲間(干拓間もない頃には田植え後カモに荒らされて全滅と言う事もあり、ほとんどの人が銃の許可を取った)と毎日のように山に出掛けておりました。その仲間のTさん、何が起きたのか、どうしたのか「大潟村をやめて出てゆく」と言う事になったのです。勿論、皆で引き止めました。説得しても頑固なのは解っていたのです。誠に残念でありましたが、皆でお別れ会をやろうと言う事で、11人の仲間夫婦と村の「南の公園」で行ったのでありました。
 そのTさんが飲めば必ず歌う、それが「柿の木坂の家」だったのです。最後に皆で肩を組みながら「また必ず会おう」と誓い合い、涙を流しながらその歌を合唱したのでした。そうして間もなく一家は故郷の福島県相馬市に帰って行ったのでありました。
 
 あれから慶事で一度会った事がありましたが、それっきり会う事はありませんでした。あれから28年の月日が経ちましたが、残った10人のうち、一人は名古屋に帰り、一人は体が不自由に、3人が亡くなってしまいました。今でもこの歌を聴くたびに、あの出来事が懐かしく思い出されるのでございます。Tさんが何故やめて帰ったのか理由は今でも解らないのです。   

今月の一句
うすらいや 種浸す水 とじこめて