第255号  25年11月号  大川 澄雄

 霜月、11月を迎えました。皆様におかれましては、ご清祥にてお過ごしの事と存じお喜び申し上げます。これから寒くなります。どうかお身ご自愛下さいますようお祈り申し上げます。

 来年、50周年を迎える「大潟村」始まりは、たったの14人昭和29年に始まった世紀の大事業でありました八郎潟干拓、その面積、1万7千203へクタールの新生の大地誕生でありました。湖底から生まれ変わった大地に、村が創られることになり、村名は全国から募集され、将来に大きな理想と躍進をこめて「大潟村」と命名されたのであります。その村が正式に創立されたのが、昭和39年、わずか6世帯、14人による村の創立でありました。その人達は、一番大切な大潟村の水を管理する南部排水機場と北部排水機場に勤める家族でした。昭和43年より全国からの干拓入植開始。それが、なんとも面白いエピソードが・・・。
 ここで面白いエピソードがございますので、ご笑読下さいませ。

 全国から募った応募要綱の中に、入植条件として、稼動力1.8人、すなわち夫婦での入植が必要と謳われていたのでございます。応募した人は40~20歳前後の人達で、20代前後の人はまだ独身者も多くおりました。試験に合格したら夫婦で入植、もしくは婚約者が居ることが条件ですから、さあ~大変・・・・・。
 入植要項の欄には婚約者の名前が必要とありましたので「婚約者としての名前だけを書けば何とかなる」と、結婚出来ると思って応募して合格したヤツは、後で「なんとか結婚してくれ」といくら頼んでも「ノー・・・」の一点張り。また、名前が必要でありましたから、好きでもなんでもないのに「婚約者として名前を貸してくれ」と頼んで入植が決まったヤツは合格まではホイホイのホイ、良かったのですが、逆に約束が違うと結婚を迫られ、泣き泣き一緒になった人。それはそれは、あちこちで大変な事があったようでございます。しかし可笑しなもので、そのご夫婦さん達が一番堅実な家庭を築いている、皮肉なものですねっ。そんなこんなも、誠に早い年月・・・・。

 あれから早いものでございまして、私も入植以来45年経ってしまいました。あの若かった入植者も、もう夫婦約200名が他界、それも現在、平均寿命75,6歳ですから後30年で残り900人が全員亡くなる・・・かも・・・・・。フロンテアスピリットに燃え、懸命に農業に勤しんだ思い出だけが、遠く懐かしく去りゆくばかりです。

今月の一句
ひこばえを 金に染まらせ 夕あかね