第262号  26年6月号  長井 一彦

 6月に入りますと、田植え作業を終えた「あきたこまち」の早苗も元気に育ち、木々のみどり、花の色に負けずと色鮮やかになります。田んぼ一面さわやかな風に葉先がそよぐ頃には、ここまでの苦労を癒してくれる時でもあります。

 皆様におかれましては益々ご健勝のことと存じます。
 ♪瑞穂の波のはて見えぬ、稔り豊けき蒲原の、廣野見さ来る心こそ希望に燃ゆる健児らが、行手を望む心なれ♪♪と唄われた母校の校歌に感化され、大志を抱く青年に嫁ぐ女性の人生がありました。
 八郎潟干拓入植訓練所入所のため、故郷を後にし旅立った日、駅のホームの片隅で見送る女性。それを知らず故郷を後にし、複雑な思いで旅立つ、涙が止まらなかった青年。
 そんな二人が結ばれたのが、高度成長期の昭和45年の秋、貧乏からの出発でも「何とかなるさ」と楽天的な夫にしっかり者の妻。働き、はたらいても楽な生活は感じ取れない借金に負われる時でも、夫に買ってもらった着物を子供たちに自慢してた幸せな笑顔・・・・・。若い頃から山登りが好きな女性で、山野草を親しみ、頂きから眺める里の景色からみどりと空をこよなく愛した女性でした。
 夫と出雲大社へ出掛け、在京の娘との再会、富士五湖廻りから稚内宗谷岬の旅。二人での旅は途中で中断。最近は交友との名所廻りなどで各地を訪ね歩いておりました。
 今年は世界遺産に登録された富士山に登りたいとの願いも叶う事無く、突然の出来事が・・・。
 今思いますに、一番の幸せは、久し振りの家族4人での松島牡鹿半島の一泊の旅行、家族4人での2年ばかりの生活がなによりの喜びだったことでしょう。時は誠に残酷なものです。二人で小さな旅に出掛ける。二人で腕を組んで歩いてみたい。そんな夢を見ていた妻に、時は永い眠りに旅立たせたのでした。
 あれから半年の時間が過ぎました。

今月の一句
帰ること なき人の世や 蛙鳴く