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| 第188 平成20年4月号 |
| メンバーより一言 ( 大川 澄雄 ・ Sumio Okawa) |
陽春に煌く季節を迎えました。私ども農家にとりまして本当に忙しい季節の訪れでございます。ビニールハウスの中には瑞々しい苗たちが精一杯に背伸びしながら日々大きくなって参りました。兎に角、罹病しやすい幼苗でございまして、極力農薬を使用しない事を使命としております私ども、本当に気遣いつつ管理に余念のない日々でございます。健苗こそ良い稔りを迎える第一歩、懸命頑張って育てて参りたいと存じます。![]() この度、大潟村芸術文化協会が創立30周年を迎えます事を記念致しまして、大潟村総出の 手づくりミュージカル「大潟村干拓物語」を演ずる事になりました。大潟村誕生から、入植前後、営農、様々な出来事、そして今・・・・。と言う設定でございまして、漠然として大変な事ではございますが、頑張って今その準備を致している所でございます。そんな脚本制作の中で、様々な出来事の面白い話しがございました。そして、こんなエピソードも・・・・・・。 前にも「今日のひとこと」でお伝えした事もございましたが、入植する為の条件のひとつに、妻帯者もしくは婚約者がいなければならない、と言う条項があったのです。それは二人居て入植としての労働力と認める事でございました。干拓地においての仕事ですから、労働力は絶対必要だった訳です。入植するには厳しい試験があった訳ですが、独身でも干拓地に憧れまして、どうしても入植したいと言うことで、婚約者を偽造?仮に知人に頼んで?書類作成、合格したまではよかったのですが・・・・。いざ入植となってさあ〜大問題があ・・・・。 なにしろ婚約者を仮に頼んで受験した訳ですから住所変更したらすぐバレる、さあ〜大変、慌てて仮に頼んだ婚約者に頭を下げて正式に頼む人、でもNОで大変な目にあった人、また本人にはその意思がほとんど無く、誰でも良いと書類をお願いして、好きでもないのに仕方なく結婚しなければならないハメになった人・・・・いや〜大変な騒ぎもあったようです。 ![]() 入植当初は、ほとんどの人が両親を故郷において来たものでございました。ですから、様々な別れもあった訳です。初めて秋田へ向う長い旅の列車の中、ちょうど山形あたりだったと思いますが、二歳になる長女が長い旅のあまり泣き止まず、デッキに背負って立ちながら、つい「両親の反対を押し切って来たことは間違いではなかったのか」との思いに陥り、夜の雪野に過ぎ去って行く小さな灯かりを、かすむ目で追っていたことを、今も鮮明に思い出します。 でも何故かあの時代は、がむしゃらに燃えていたようにも思えます。それは若かった精なのか、フロンティアスピリットに燃えていたのか、両親を早く呼ぶための頑張りだったのか、生きて行くための執念だったのか・・・・あれからすでに40年の月日が経ってしまいました。これから先、いかになろうとも、この大干拓地に生きた事実は永遠に残ることでございましょう。 そんな遥かになった「入植の記憶」を再現出来たらと思っております。 |