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「ふるさとは 遠きにありて思うもの そして悲しく唄うもの」そんな言葉が歳とともに重みを増すこの頃ですが、私どもメンバー5人には秋田出身の者はおらず、故郷はそれぞれ熊本・新潟・北海道と、北から南までさまざまなのです。ご存知の方も多いでしょうが、私どもの住むここ大潟村は日本で第二位の面積を誇った八郎湖を干拓して出来た新生の大地であり、ここへ全国から入植してきたのです。私も小学3年生で親に連れられて大潟村へ越して来ましたので、残念ながらふるさとである北海道は網走の記憶は薄く、断片的にしか覚えておりませんが、幼少の頃の記憶ながら、とても懐かしい思い出があります。
そのひとつが農耕馬との思い出です。今でこそ農家はトラクターなる文明の利器がありますが、当時北海道の農家では必ず農耕馬を飼っていまして、春はすき(畑を耕す道具)を引き、夏や秋は荷車、そして冬は馬そりと、年じゅう馬と共に農作業をこなしていたのでした。
我が家にも農耕馬がおり、その馬小屋の梁に飾られた埃のかかった血統証には、「椿姫」と書かれていたのでした。幼い私はこの椿姫の背中が大好きで、畑への往復にはいつも決まって乗せてもらい、冬は椿姫の引っ張る馬そりで吹雪の中を学校へ通ったのでした。また、子供の仕事として任された馬の餌やりの合間には身体のブラッシングや、たてがみを三つ編みにしたり、あの長い鼻を撫でてやると本当に優しい大きな瞳で私を見つめてくれた。日々私の生活の中で、この椿姫は兄弟のような存在だった気がする。子供にはやさしいこの馬も、こと仕事となると、あまりいう事を聞かず、疲れてくると何をしても立ち上がらず、しまいには、たずなを切って小屋へ帰ってしまうとても頑固?な駄馬でして、困惑した父の顔が今も思い出されます。また、記憶の中に鮮明に残っているのはこの椿姫の出産です。幼いながらも一生懸命おなかをさすり見守る中、やっと生まれた可愛い子馬、そして生まれて数時間で立ち上がる子馬の生命力に、自然の厳しさと親の愛を知り、そのやんちゃな子馬が、間違って川に転落した時、椿姫は今まで見たこともない速さで川の中を走り、流れを食い止めるように自ら障害物となって我が子を助けたのでした。
そうそう、その子の飲んでいる乳を私も分けてもらった事もありましたね。
そんな椿姫も、私ども家族が大潟村へ越してくる時、よそへもらわれて行ってしまったが、私は今でもあの、ちょっとゴツゴツとして、ほんのりとあったかい椿姫の背中が忘れられない。そして、しんしんと雪の舞う中、耳を澄ますと新雪をあの太い足で力強く踏みしめる、ギシギシという椿姫の足音が今にも聞こえてきそうな気がする・・・。
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