平成14年9月1日 発行    NO 120号




メンバーより一言 (大川 澄雄 ・ Sumio Okawa)

  先日、社内研修で秋田新幹線「こまち号」に初めて乗車致しました。仙台駅に着きますと二階建ての新幹線、もうびっくり!...いかに新幹線に無知なのか思いっきり恥をかいた次第でありました。ふとそんな時、遠い昔を思い出したのでした。遥かな山間をぬって白煙を吐きながら走る列車、まるでマッチ箱を連結したような、手をふると「ぽぽー」と答える汽車。まるで走馬灯のように...。

 熊本県から鹿児島県の高校へ通学していた私は、このSLローカル列車と共に3年間を過ごしたのでした。「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」ではありませんが、顔は真っ黒け。トンネルだからと云って、とても窓を閉めるような夏の暑さではありません。お互い顔を見合わせながら笑い合ったものです。行商人も多く、竹で編んだカゴを背負い、魚を売る人等など。貧しい姿の中にも、生き生きとした生活への気迫が感じられたものです。2両編成と云いましても、男子学生は前の車両、後ろは女子生徒と、厳しく区別されておりました。学生鞄と申しますと、ふろしき包み、下駄を履いている人も多かったように思います。学帽はわざとぐちゃぐちゃにして...

こんな事もありました。どしゃ降りの雨で遅れてしまい、駅に着く前に列車はホームを離れて100メートル程行ったでしょうか。自転車をこいで急いでいる私を見て、汽車を止めてくれたのです。一日4往復でしたから、乗り遅れると欠席するしかないのです。本当にうれしかったなー。何も取り柄のない私、無欠席が私の唯一の出来事。その思い、一生忘れる事はありません。今思いますと、想像出来ませんね。そんな優しいおおらかな機関士さん...本当にのんびりでした。

私は通学1時間の道程がとても大事、教科書を見る時間。その合間にちらちら見える淡い恋?もありました。歳の頃は25歳ぐらい、とても素敵なおとなしい人でした。トンネルに入ると窓に映るのです。教科書を見るふりして、一心にその人を見ていたものです(自然と見える角度の席に乗るようになったのかも)。3年間同じ車両、お互い会釈はするようになりましたが、一言も話す事なく終わりました。今思うと本当に無邪気だったのですね。

あれから40数年経ちました。その思いを乗せた「山野線」も、廃線になりまして、葛の花がすだく繁ってしまい、面影もなくなってしまいました。あの人はどうなったのかなーと、ふと思いつつ...。               


        思い出は 心にありて 葛しげく