第135  平成16年1月  

メンバーより一言  (長井 一彦 ・  Nagai・Kazuhiko

 新年明けましておめでとうございます。 旧年中は格別のお引き立てを賜り、誠にありがとうございました。 本年も変わらぬご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。

 私の今年の運勢は如何なものか?気になっていた所、ふと目に入ってきた新聞の記事「今年は変化変動のある年で、将来の運をつかさどる良き転換の節目になる。過去を振り返り反省し、対処すべき方針の確立を図る。選択のいかんによっては吉凶の分枝点ともなる。自分好みの行き方では挫折も...。人との接触を円満に持って行くべし。そして、志ある者は事成る」どうやら厳しい年になるようだ。

 私の生き方── それは親父に似ている...最近、よく思う。恥ずかしい昔の話しですが、私の子供の頃の父は、暇を見つけては朝から机に向い、何やら読み書きしている後ろ姿を思い出します。新聞社に短歌・俳句または論文などを投稿していたのでした。お陰で、私の筆箱には景品のシャープペンシルやボールペンが一杯、何も言わずに入れてくれていたのでした。そんな親父でしたから、兄弟揃って机に向かわせ、本などを良く読ませられたものです。出来の悪い私は、よく物差しでパシンと叩かれたものです。また仕事はと言うと、朝早くから夜遅くまで黙々と働く親父でした。しかし、ただがむしゃらに仕事をこなすのではなく、例えば杭を10本打つとしても、一直線に並ばなければ納得せず、上手く行くまでは決して妥協を許さない、丁寧な仕事で満足をしていた、そんな人でした。また、友と酒を呑み、夜を徹して語り合うのが大好きで、お袋が朝食の準備にかかろうと薪を見に行ったら、前の夜に薪を使い切ってしまって、空っぽだった...そんな事が日常茶飯事でした。親父のやる事なす事に反発して、屋敷中追いかけられた思い出も忘れられません。
 そんな口うるさい親父も、五十歳を前に病に倒れてからは、私のわがままも幾度となく許してくれた。それなのに、七十三歳で逝ってしまったその日に、私は娘の部活動の些細な行事の為に死に目にも会えなかった...何とも親不孝な息子なのでした。
  最近「親孝行が出来るのは何時になるかわかりませんが、それまでは元気でいて下さい。」そんな言葉を娘に言われました。背中の丸まった母に、親父の分まで孝行しなければ...そんな事を想っている最中の娘の言葉、涙が溢れました。それは、不甲斐ない自分への怒りでもあり、また親を想う子への感謝でもあった。子を思う気持ちは親父も私も同じ、親を思う心は私も子供も同じ。世代が代わっても、家族の心は強く結ばれているのでしょう。

  経済情勢の厳しい中、昨年は冷夏・不作と農業を営む私どもにとっても大変厳しい年でした。今年は私にとっても転機とし、これからも皆様方の為に、環境問題にも取り組みながら、安全で安心出来る美味しいお米づくりを目指して邁進して参りたいと考えております。今後とも、何卒よろしくお願い申し上げます。
     
     来光や 瞬時に赤し 雪の村    こまちの里