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| 第141号 平成16年6月 |
| メンバーより一言 (長井 一彦 ・ Kazuhiko Nagai) |
| 6月になりました。一日一日と日の経つのが早いものですね。田んぼに水を張って「代かき」や「田植え」。そんな忙しい5月の頃は、昔を思わせる広大な湖面の田園風景だったのが、今では「あきたこまち」の生長とともに、緑の色を強く濃くして、絨毯の如しに大潟村も様変わりです。そんな、さわやかな風になびく「イネ」は、私たちの心を和ませてくれ、疲れを癒してくれるような睦月となっています。 夏日を迎えて晴れ渡る日々を過ごしますと、私の記憶から消え去る事のない出来事が蘇ります。昭和58年と昭和39年の出来事です。それは今から21年前の「日本海中部地震」と、40年前の「新潟地震」です。 晴れた暑い日でした。ハウスメロン栽培を始めて二年目。田植えを終えて、アムスメロンのつるの誘引作業に精を出していました。作業人夫さん達と「そろそろ昼食時間だし、ゴハンにしよう。」そんな会話をしていた最中に、グラグラッと横揺れを感じると同時に、今度はガタガタッと上下に揺れ、立っている者はバランスを失い、倒れる、蔓に捕まり、誰となく「地震だ!逃げろー!」と。 幸いにも、全員怪我をする事はありませんでしたが、「家はどうなっただろう。」、「火事は大丈夫かな?」、「子ども達は安全な所に逃げられただろうか?」・・・ 大潟村と周辺町村を繋ぐ橋も緊急整備され、夕方には帰る事が出来ましたが、とにかく皆無事。家、家族子供を思う母心に感心されたものでした。 一方、男鹿半島まで遠足に来て楽しんでいた小学4年生の13名や、港湾作業員30数名達など、多くの人々が津波に呑み込まれ、流され亡くなられました。地震の怖さは、前触れもなく襲ってくるところでしょうか? 秋田県全体で甚大な損害を被った経験を忘れずに、いざという時に対処出来るよう5月26日は、「県民防災の日」として、語り継がれて行く事でしょう。 新潟出身の私は、東京オリンピックの年、高校二年生でありました。台風の被害を3年前に経験。我が家も、屋根が持ち上げられるといった痛い目に遭っておりました。新潟地震で更に追い討ちをかけられ、経済的にもショックから抜ける事は出来ず、悩んでいる親を子供心なりに見ておりました。地獄の世界を見たのは更に3年、4年後と二年連続の大水害に見舞われてしまいます。 二度三度と天災、人災とも言われる経験をし、時に被災地の人々の表情を映し出された画像など、誰しも立ち上がる意欲もなく、元気もない落ち込んだ姿を見て思う事は、仲間、社会の励まし合う心、そして協力と助け合う支えの精神から、人は頑張る心を持ち育ててゆくのではないでしょうか。 人との結びを忘れずに生きて行きたい。そんな思いを強く抱くこの頃です。 根を張って大きくなってくれたイネに感謝をし、空を見上げれば爽やかな風と青い空が、あの時と同じ陽の射す一日でした。 暑い日々を迎えます。お体をご自愛の程お過ごし頂きますようお祈り致します。 |
| ガジャの花 灰かに赤く 男鹿染むる こまちの里 (ガジャの花とは、谷ウツギの事) |