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| 第143号 平成16年8月 |
| メンバーより一言 (太田 稔・ Minoru Ota) |
| 暑中お見舞い申し上げます。 今年の夏は暑いですね!昨年は冷夏で稲は勿論、農作物は軒並み生育不良でしたが、今年はおてんとさんが「いい仕事してます」もんで、おかげ様にて稲も至って順調に生育しており、この分ですと、さしずめ9月末頃には皆様の所へ、美味しいあきたこまちの新米がお届け出来るのではないかと思います。乞うご期待ですね! 暑いといえば、コンクリートジャングルの都会では、体感温度が50℃を超えることもしばしばとの事、まして身長の低い子供は、地面からの輻射熱で更に大変とか、充分に水分等を補給して、熱中症などにならぬよう、気をつけなければなりませんね。 秋田でも、連日の熱帯夜はエアコンの買えない我が家では地獄でして、まして子供は夏休み中。早朝から"いきなり暑い"居間のド真ん中で、最近流行っている?「太鼓の達人」なるゲームの太鼓の音が、悲しくもトントコ響いてます。 都会といえば、私もかれこれ二十数年ほど前になりますが、東京に住んでいた事があります。それは世田谷にある「大根踊り」でご存知の方もおられるかと思います"東京農業大学"に籍を置き、農業を学んでおりました。 とはいっても、勉学は程々でして、「山菜研究同好会」なるサークルに、首までどっぷりと漬かり、その友らと鍋をかかえて山に登り、食えるであろう雑草に舌鼓を打ち、酒を飲み交わし、深夜まで共に笑い・共に悩む、それが当時の私の青春の全てだったといっても過言ではありません。 当時は世田谷でも畑などもあり、馬事公園では早朝からお馬さんが「ぱかぽこ」と足音を立てながら歩いているといった、のどかな風景がありました。そんな中、サークルの友人らと共に住んでいたアパートは、月五千円という、当時でも格安な所でして、とある商店街の脇にある小道(通称、世田谷のスラム街と云われていた)の最奥に位置したアパートは「弥生荘」といい、木造平屋で当然炊事場・トイレは共同でして、風呂はなし、部屋は3畳間、そして日の差し込む時間は一日2〜3時間という部屋でした。けれど、そんな薄暗い狭い部屋でも、私にとっては青春の凝縮された城だったのでした。 今では綺麗に区画された上に立派なマンションがそびえてしまいましたが、商店街の八百屋のおばちゃんや、魚屋のおっちゃん。食堂の無口なオヤジや銭湯の姉さん・向いに住んでいた可愛い双子の姉妹や管理人のおばちゃん等々・・・。そんな忘れられない若かりし頃の思い出は、今でも「弥生荘」の三畳間の部屋に詰まったまま、私の脳裏から消える事はない。 |
(稲の花の季節を迎えました) |