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| 第174 平成19年2月号 |
| メンバーより一言 (長井 一彦 ・ Kazuhiko Nagai) |
昨年と違い雪の少ないお正月も過ぎまして、早いもので如月の二月を迎えてしまいました。春の陽気さえ感じる暖冬の日々、皆様いかがお過ごしでございますか。皆様にとりまして素晴らしい年でありますよう、そしてご健勝の程お祈り申し上げます。![]() 今年は亥の年、私も戦後生まれのイノシシ、団塊の世代と言われていつの間にやら人生の節目での還暦を迎えることになりました。昭和30年の中頃から社会にも少しばかり馴染み、オリンピック開催頃からのめざましい高度成長の最中に身を投じて40年余り、この節目に今一度自分を振り返ってみたい、そんな思いの2月でございます。 越後平野に生まれ、農家のせがれとして当然の如く農業への道を進んで「米」を作る事に専念したものの、当時の稲作栽培と言えば我が家ではまだ田植えは人の手による手植え作業、鎌を持っての稲刈りと昔ながらの手法。「結え」なる助け合う共同作業も、今は懐かしい良き思い出となりました。それからまもなく動力による機械化の普及と進歩とともに作業もずいぶんと楽になったのですが、日頃からより念願でありました大規模農業の夢を実現したいとの思いの中で、人生の転機を決断する時がやって来たのでした。 「八郎潟へ行きたい」叶わぬ夢を承知の上で直訴したところ、しばらくして、ぽつり 「願書を出して見たら」と言ってくれた親父。やがて八郎潟入植訓練所合格通知が届い た時、喜びを隠せない自分と、寂しい仕草をおし隠して「よかったな〜」と言ってくれた親父、当時親父も丁度還暦を迎えた年でした。以後、無口になってゆく親父の背中を忘れることは出来ません。今となっては語り合う事も出来ませんが、親父の歳になりまして、しみじみその思いが分かる気が致します。 昭和46年の亥の年より、大潟村での大型機械による営農も、めまぐるしい時代の移り変わりを感じない訳にはいきませんでした。模索の時代から自立の時代へと進んで紆余曲折しながらも従事する事が出来ました。そして、「こまちの里」も本当に皆様の温かいお心に支えられまして、お陰様で16年と言う年月を過ごさせて頂いております。 定年なる言葉がない農家でございますが、この還暦を機に皆様に深謝申し上げながら「農業に誇りを持って、更なる挑戦」を忘れずに生きて行きたいと思っております。 暦の中では「立春」、でもまだまだ寒さはこれからでしょうか、時節柄、お体をご自愛 下さいまして、お過ごし下さいますようお祈り申し上げます。 |